サッカーについては全くの素人でうんちくを語る資格はないと思っているが、フランス人と一緒に仕事をしながら文化の違いが分かるにつれて、日本のサッカーが弱い理由が分かったような気がする。
したがって、記念すべき第50話では敢えてサッカーを話題にしようと思う。
Jリーグが出来て早14年になるが、ご存じのように日本のサッカーはまだまだ世界に通用しない。たったの14年では、歴史ある海外のチームと比較すること自体無理なのかも知れない。個人的にはもっともっと強くなって欲しい。素質ある選手もたくさん居るのだから。
確かにJリーグが出来て日本のサッカーのレベルは格段に上がった。組織的なプレーに関しては、かなり完成度の高い部分も見られる。監督も海外から招聘し、積極的に海外の高度な技術を導入している。
また、海外で活躍する日本人選手も出てきて、中村選手などはレギュラーとして立派に通用している。
日本のサッカーチームを評してよく言われるのは、「決定力に欠ける」という点だ。確かに、海外チームとの試合をテレビで見ていると、ゴールまでは押し気味にボールを運ぶが、シュートの数が少ない上に決まらないことが多い。
フォワードの力不足が素人目に見ても明らかである。この現象を、日本文化に接したフランス人に聞いてみると、「文化の違いだ」という答えが返ってくる。彼らは日本に5年以上住み私たちと一緒に仕事をしている関係で、日本人の考え方を仕事を通じて彼らなりに理解している。したがって、彼らの言う理由の信憑性はかなり高く、なるほどと思う。
例えば仕事上の話であるが、日本側が何か決断をしなければならないとき、しかもその決断が大きければ大きいほど躊躇する。決断をする権限を持っている人でさえ「チョット待ってくれ」と言って、組織と相談した上で決断をする。
これはサッカーで例えると、敵陣に組織力でボールを持ち込み、ゴールを狙う最後の「要」であるフォワードにパスをした後、フォワードのシュートがなかなか決まらないことに似ている。
サッカーのフォワードに要求される決断力は、フォワード自身の責任で、その動物的感覚を拠り所に即シュートのコースを読み、確実にゴール内にボールを運ぶことである。フォワードが「チョット待ってくれ」と言う暇はない。
フランス人に言わせると、フォワードが最後の砦で、自分自身の判断と責任で突き進むという所作は、日本人に向かないそうだ。文化とそれに育まれた国民性では無理なのだそうだ。
日本サッカーが抱えている決定力不足は、日本人としてチームを構成している以上、練習で解決できる問題ではないと言うのである。彼らの指摘は的を得ていると思う。
フランス人は、それぞれの職位で責任を持って(的確かどうかは別として)判断を下す。それが正しい判断でも間違った判断でも、異論を唱えず皆がそれに従う。その代わり、職位の持っている責任は重い。責任の重さは当然であるがサラリーに反映されている。
アメリカでは、貧富の格差が広がりすぎるとの指摘があるようだが、責任の重さに比例してサラリーを決めるという発想は、得てして高額のサラリーを生み出し、さらには、転職が多い習慣を作り出している。フランスもしかりである。上位職の判断に下位職の人たちは、決して異論をとなえず忠実に従うのである。
フランス映画に描かれている政府高官は、一様に皮肉っぽく描かれているものの皆大金持ちである。
さらに言語自体の持つ特徴もフォワードの善し悪しを特徴付ける。
フランス語の通訳さんも言っていることであるが、フランス語は敬語や謙譲語が無いので自己主張しやすい。だから、日本語を話すときは優しい性格になるが、フランス語を話しているときは攻撃的に変身するのだそうだ。
サッカーの優れたフォワードは、自分の責任によって独自判断するという文化的背景に育てられた全フランス国民から選ばれるのである。日本がかなわないわけである。
by エダ
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