| 「以心伝心」という言葉は、日本ではよい意味で用いられることが多い。例えば、チームで仕事をする場合、詳しく説明すること無しに以心伝心で仕事が進行するとき、「チームワークが良い」ということになる。夫婦に至っては、以心伝心で繋がっている「仲の良いおしどり夫婦」となる。
フランス人に限らず、外国人と付き合うとき(私はフランス人とイギリス人と付き合った経験しかないが・・・)「以心伝心」は通用しない。「きっと分かっているだろう」は、とても危険なことなのである。
外国人と一緒に仕事をしていて、重要と感じるのは「言葉を定義する」事だ。これは仕事を始める前に行うべき事で、欧米では常識である。フランス人の作成する図書には、必ず「定義」の項がある。言葉を定義することによって、一緒に仕事をする人たちの認識レベルを一定以上に保つのである。
言葉の意味について共通認識を持たずに仕事を始めると「自分はサッカーをやるつもりなのに、仲間は野球をやるつもりだった」というような、予想外のちぐはぐが起る。気付かずに仕事を進めていて、いざ仕事のまとめにかかったときに、最初からやり直しが必要になり作業効率がすこぶる悪い。
なぜ日本人は「以心伝心」が可能で美徳と考えるのだろう。島国の日本は、閉鎖された世界観がベースとなり、自分たちは似たり寄ったりの考え方をする。これが前提で「以心伝心」ができ易かったし、言葉をいちいち定義しなければならないといった事態にはならなかったのだろう。
「以心伝心」にまつわる誤解の例に次のようなものがある。
フランス人「○○のように記載を変えた方が良い。」
日本人「分かった、検討しておく。」
(しばらく経って)
フランス人「記載が変わっていないではないか!?」
日本人「検討したが採用しなかったので、変えなかった」
(政治家も良く使うが・・・)日本人の良く使う「検討しておく」は、「貴方の言っていることは分かるが、我々は採用するつもりは無い」場合が多い。「検討しておく」と言った日本人は、フランス人もきっと「採用するつもりが無い」ニュアンスを理解してくれたものと思って、放っておいたということなのだ。
また、こんな例え話もある。「砂糖は辛い」という言葉がある。砂糖も人によっては「甘い」という者もいれば、「辛い」と言う物もいるかもしれない。という例えである。こんな極端な話は、まず無いだろうが、例え話としては「さもありなん」である。(もっとも福岡の「川端ぜんざい」は、その甘さ故に有名であるが、隠し味に塩を使う)
物事をいちいち定義しないと仕事が始まらないフランス人の性分からだろうか、相手を説得する方法に特徴がある。
ランスには「だめもと主義」というのがあるかどうか分からないが、非常識と思われることでも相手を説得しようと試みる習性がある。私が勝手に付けた名前であるが、「とにかく、ためもとで要求を出してみる」という習性である。
例えば、幼稚園でこんな事があった。ある親が「子供が風邪を引いた。明日、予定されている運動会(日本の運動会とは別物で体操披露会(ジムナスティックという)というようなもの)を延期できないか。」と校長先生に話しているのを聞いた。
日本では考えられない要求だし、言っている本人も、とてもそんな要求が通るとは思っていないだろう。けれども、(どうせダメだろうけれど)とりあえず言ってみるのである。
一般的に礼儀を失しているだろうと思われることでも、とりあえず主張する。これは習慣化しているので、相手に対しても失礼ではないし、相手も「そんなことは、できません」で軽く断るのである。無理な要求をする人と断る人の間で、決して人間関係がギスギスすることはない。
フランス人と仕事をしていると、(ラテン系の気がある)私など感化されて、失礼にならない程度に自重はしているものの、ついつい、とりあえず何でも要求してみる傾向になる。
世間では熟年離婚が多いという。「以心伝心」はかっこいいが、なかなか通用しないのが現実らしい。毎日「愛してるよ」というのは照れくさいが、それくらいの努力は、悔しいが必要かなと思っている。
by エダ
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